おはようございます。
このメールを書いているのは、12日未明です。
もちろん寝ていたのですが、うとうとしてこの歌がメロディの部分が頭のなかでリフレインしていました。
先日、『メール読んでます。リアルタイムでは間に合いませんが…』という内容のメールを頂きました。ついつい、たくさんのメールでみなさんに送信してしまうんです。自分でも多すぎるなあと思いながらも、なんかすごく伝えたいことがたくさんあって、伝えたいというのが調和とれているかどうか?自分の『伝えたい』と伝えたほうがいいというのの線引きがなんとも微妙なのですけれど。
最近とくに書かずにはいられないという感じなんです。
僕の場合、アスペルガー障害ということもあって、面と向かってお話しをするというのがなかなか大変なんです。話そうと思っていることをひたすら話すのは出来るのですけれど、会話とか相手の様子を見て対応するということが難しく、結局面と向かっていても伝えたいことはほとんど伝えられずとなります。なので、自分のできることは書くことのほうが得意なんだなと認識しています。
眠っていても、こうして書かずにはいられなくなってしまうのです。申し訳ありません。
誰か、ちょっとでも受け取っていただける方がいたらいいなという、そんな気持ちです。
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「僕と彼女と週末に」の歌詞 というか語り(♪〜♪以外は語り)
浜田省吾
この星が何処へ行こうとしてるのか もう誰にも 分からない
権力と権力のSee-Saw-Gameから 降りることさえ出来ない
人は一瞬の刹那に生きる 子供は夢見ることを知らない
君を守りたい 君を守りたい この手で
愛を信じたい 人の心の 愛を信じたい いつの日か
昨日の絵具で破れたキャンパスに 明日を描く愚かな人
売れるものならどんなものでも売る それを支える欲望
恐れを知らぬ自惚れた人は 宇宙の力を悪魔に変えた
♪君を守りたい ただひとりの 君を守りたい この手で
愛を信じたい 人の心の 愛を信じたい いつの日か♪
週末に僕は彼女とドライブに出かけた 遠く町をのがれて 浜辺に寝転んで
彼女の作ったサンドイッチを食べ ビールを飲み 夜空や水平線を眺めて 僕ら色んな話をした
彼女は 彼女の勤めている会社の嫌な上役の事や 先週読んだJ.D.Salingerの短編小説の事を僕に話し
僕は今度買おうと思っている新しい車の事や二人の将来の事を話した
そして誰もいない静かな夜の海を 二人で泳いだ
あくる日 僕は吐き気がして目が覚めた 彼女も ひどく気分が悪いと言い始めた
それで僕らは朝食をとらず 浜辺を歩くことにした
そしてそこで その浜辺で とても奇妙な情景に出会った
数えきれないほどの 銀色の魚が 波打ち際に打ち上げられていたんだ
いつか子供達に この時代を伝えたい どんなふうに人が希望をつないできたか
♪君を守りたい ただひとりの 君を守りたい この手で
愛を信じたい 人の心の 愛を信じたい いつの日か
君を守りたい ただひとつの 君を守りたい この手で
愛を信じたい 人の心の 愛を信じたい 今こそ ♪
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浜田省吾1982年発表のアルバム「PROMISED LAND」収録曲です。
これを初めて聴いたのは、高校生くらい(85-86年?)です。単なる収録曲と言ってしまうには存在の大きすぎる、アルバムのテーマ曲ですね。
「約束された土地(PROMISED LAND)」一番最後かその前かに入っていたのが「僕と彼女と週末に」でした。
JRのCMで小泉今日子が『もっともっと』と言っていたのは1990年頃です。1980年頃はバブルの前でやりたい放題というか、環境とかそういう言葉もなかったような(環境って言葉は当然ありましたよね)、そんな時代です。まして日本のロックミュージックの中でこうして正面から環境問題(原発問題)を扱うなんて前代未聞でした。
『この星が何処へ行こうとしてるのかもう誰にもわからない
権力と権力のSee-Saw-Gameから 降りることさえできない』
シーソーゲームは米ソ冷静時代をイメージしているのかもしれませんが、日本国内を始め、経済優先のいびつな世界、そこから誰も抜けることさえできないと語っています。
『あくる日、僕は吐き気がして目が覚めた。
彼女も気分が悪いと言い始めた。
それで僕らは朝食を取らず、浜辺を歩くことにした。
そして、そこでとても奇妙な情景に出会った。
数え切れないほどの魚が、波打ち際に打ち上げられてたのだ。』
10代の頃聴いていたときは、いったい何の歌なんだ?でも浜田省吾だから聴こうという感じで、もう不思議でした。
働いていた喫茶店のほかのスタッフも常連も、浜田省吾が好きだったので、一日中浜田省吾が流れている日なんてもあるくらいで、当然この曲もよくお店でかかってました。。
汚染された海を泳いだことによって体調を崩した二人は、大量に打ち上げられた魚を見て驚愕します。歌詞との関係から考えると、この海は核実験によって放射能汚染された海を示唆しているものと考えられます。
1980年代当時は、まだ公害闘争の記憶も新しかったこともあり、公害汚染という解釈も多かったような気がします。
作者の浜田省吾自身も、「たくさんの魚が打ち上げられたシーンは、工場排水の流出により汚染された瀬戸内海で魚が浮かんだ光景が原体験だった」と語っています。
汚染の原因が工場排水から核実験(原発事故?チェルノブイリさえ86年だから)の放射能になったというところに、浜田省吾の危機感は強く表れているような気がします。
浜田省吾に大きな影響を受けたミスター・チルドレンの桜井和寿が、この作品をカバーしているけれど、ミスチルはあまり聴いたことないから、カバーしているんだ、というくらいの認識です。
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テレビではTPPで日本の経済はどうなるのか?ということが討議されています。
12月のアオバ新聞で白井常雄氏は
『〜世界情勢が環境経済も一段とその厳しさを増して来ています。
遂にと云うか、いよいよと云うかはともかくとして、ヨーロッパの経済システムのユーロ自体がギリシャの発端の金融危機がイタリアに伝播し、両国首相が辞任に追いやられ、ユーロ全加盟国間で必死の生き残りを賭けた攻防が続けられています。曰く、ヨーロッパのブラックホール、ユーロシステムのメルトダウン、更にはユーロクライシス(危機)からユーロデザスター(災害)へと言葉使いまで危機的な様相を示し始めています。
アジアでは、地球温暖化・気候変動が原因として、タイでは大洪水が8月より発生し、どんどんその規模が拡大し、11月初旬には、ほとんどの工業団地が水没し、数百の企業が関連部品の不足から、全世界レベルの調整を余儀なくされています。もはや経済界に於いて国境線は存在せず、一つの事象・現象が即、全世界レベルに影響を及ぼす状況を見せつけられます。
中近東でも相変わらず緊張状態が続き、リビアのカダフィ独裁政権が遂に倒れ、いよいよ民主化への本格的な取り組みが進み始めていますが、他民族で構成されている国柄、民族間の調整が相当難しいようです。更に中近東の大国シリアのアサド独裁政権が民主化運動の大波にさらされ、一段と緊張が高まって最後のあがきが始まっています。
日本もTPP論争が盛んですが、ヨーロッパや中近東に比べれば、実に平和なコップの中の嵐のごとく私には感じられてなりません。
それよりも、福島原子力発電所が、震災後初めて、マスコミに取材が許されました。その映像を見るにつけ、当時の凄まじい状況が彷彿されます。特に印象に残ったのは、発電所の吉田所長が事故直後の一週間に何度も死を覚悟したとのコメントでした。
もはや、世界も国内も、私達が今まで信じ創り上げて来た顕在意識中心のシステムが、全世界的レベルで不調和・崩壊化に向けて、こんなに確かな形でメッセージを発振しているにも拘らず、私達はその現象のみに目を奪われ、その本質の真のメッセージを受け取ることが出来ません。その理由は、いつも申し上げている通り、見て聞いて触れると云う、極々限られた振動波の中で構築された文化だからです。特に原発事故で発生し、リークされた放射線は、これから何千年・何万年と云うレベルで地球上に存在する全てに重大な影響をもたらし続けます。人間はその一生を最大ですら百年の周期で生まれ、行き続けますが、何代に亘ってこの負の遺産を背負い続けなければなりません。』
と書かれています。
他の国からしたら、日本の経済(経済ということだけだと)はとても平和なのかと思う内容です。
その『平和な』日本のなかですら、生きているだけでも大変だと感じてしまいます。逆に考えると『生きているだけでも(それでも何らかあるから)儲けもの』ということでしょうか。
私的に思うことですが、年金システムも何もかも破綻しているように思えます。結論から言うと、エゴ社会だからだよねえということだと思います。
TPPで自由な貿易をということかも知れませんが、『調和のとれたものしか作ってはいけない・売買してはいけない』というルールの元にだったらいいことだと思います。今の社会ではありえませんが。
そういうルールが必要な段階の未熟な社会(エゴの社会では)、そういう強制が必要で、でもそんなのがあっても守る人がいないというのが現状。そして、必要ない社会(調和とれた社会)だったら、そもそもルールなんて必要ないわけで。
この無限とも思える悪循環のループがずっと続いていきそうな雰囲気です。それをどうしたら少しでも変換できるのか?未来の人たちに、よりよい社会の方向性を見出していくことが今生きている私達の役割なのだと思います。これはずっと前から思っていることです。
来月息子は6歳になります。子供が生まれるとかそういうことのずっと前から考えていましたが。
世間では就職難、…そこから結婚できないかもという将来の不安が社会全体にあります。少しでも収入を多くするために、勉強して、いい会社に入って…と、もちろんそうされている方もたくさんいると思います。
頑張って、勉強して、いい就職して(しないかも)、結婚して、子供が生まれて、その子供にも同じようなこの社会の苦しみを与える???そんなために頑張っているのか?何なんだろうか?
その悪循環ループを自分の子供にもさせるのだろうか?自分の子供も他の子供もですが。
自然のしくみはアナログだから、デジタル的に『今日からこうなります。』と変わることではありませんが、少しずつちょっとずつシフトしていく必要があると思います。
私には弟が二人います。ある意味真っ当な(笑)仕事をしています。彼らを見ていても、これが今の地球の日本の現状。そのなかで頑張っているんだなと思います。
なので、こんな話しはまったく出来ないようなそんな二人です。こっそり(僕には言わずに)日記は読んでいるみたいなのですけれどね。
でも、わかってくれて通じる人、少しでも一緒にこの世界を変えて行ける人には何だか伝えたいことがたくさん湧き出てしまうのです。
そうすると、寝ていても浜田省吾の歌詞が止まらなかったり、こういうメールで、こういう内容を書かないと、ということが浮かんで眠れなくなって、夜中でも書いたりしてしまうんです。
以前は夜中でもわからずに送信してしまいましたが、最近は『携帯の人もいて、人によっては起こしてしまう人もいる』ということがわかったので、午前8時、9時以降に送信するように気をつけています。
いつもありがとうございます。
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